③ 石油ストーブ
うちにある唯一の暖房器具であるエアコンが壊れてしまった。
あと数日後には例年にない強い寒波が日本列島を襲うというのに。
ここでふと思い出した。
会社の先輩が石油ストーブを持て余しているという話を。
早速メールを送信して、まだ残っているか確認をする。
5分と待たず返信がきた。
ストーブは残っていて、今日は1日暇をしてるから出来れば今日中に取りに来てほしいとのことだった。
俺も特に予定はないので、すぐに行きます、と返す。
キャリーカートとバスタオルを持って家を出る。
カートはストーブを乗せるため、バスタオルはストーブ本体を覆うため。
先輩の家には電車を使って行くし、ストーブを裸でカートに乗せておくとよく思わない人もいるだろう。
そもそもここのアパートは灯油製品の使用が禁止されてるはずだ。
それなのに石油ストーブを部屋の中に持ち込むところを他の住人に見られたら、いろいろと面倒なことになるだろう。
特に1階に住んでるヤマブキのじいさんは厄介だ。
ゴミの出し方から始まって、部屋の外は共有通路やスペースなんだから物を置くなとか、迷惑になるから大騒ぎをするなとか。
この間はアパートの階段を下りたとこで唾を吐いた瞬間を見られ注意を受けた。
お前に注意される覚えはねえよ、とは思ったが事を大きくしたくなかったので言い返しはしなかった。
友達と夜中に飲んでてうるさいと言われたこともあった。
他にも細かいことをねちねちと口にする。
それなので石油ストーブなんて見られでもしたら、それこそ炎上したように正論を振りかざし問い詰めてくるだろう。
※
先輩の家で物を受け取るとそうそうに帰ることにした。
日が落ちる前には自宅に戻りたかった。
また改めてお礼をすると伝え帰路についた。
幸いなことに、ヤマブキに会わずに自室に運ぶことが出来た。
あとは灯油を用意するだけだ。
ホームセンターで金属製の携行タンクを購入すると、その足でガソリンスタンドに向かい灯油を入れた。
タンクを乗せたカートをガラガラさせてアパートに到着する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ヤマブキが声をかけてきたのは、2階の自室へ向かおうと俺が階段へ足をかけようとした瞬間だった。
「ちょっと、それ何?」
こんばんは等の挨拶も無しにいきなり切り込んでくる。
「あ…非常用の飲料水です」
とっさの返答だったが自分の中では及第点だと思う。
「飲用で鉄製の入れ物っておかしいんじゃないか?」
「最近、流行ってるんですよ」
「そうか、おれはうっかり灯油かと思ったよ」
思わず返す言葉が出てこなかった。
「夕方、あんたが自分とこに持ち込んでたもの。あれはストーブだったんじゃないか?」
「あ…」
見られていたんだ。
「長く生きてりゃ見当もつく。今回の件は管理会社に連絡しとくよ。今までの事のあるしね少し反省してくれ」
自分の中で血液が逆流するような錯覚に落ちる。
どれだけ腹が立っても堪えてきたのに。
ゴッ‼
理性より先に身体が反応していた。
ヤマブキは地面に尻をつき、俺の拳には確かな感触が残っている。
「あっ、あああ…」
怯える姿に俺はさらにアドレナリンが出る。
アドレナリンに突き動かされるままに灯油の入った缶を手に持つと、それをヤマブキの頭に力任せに振り下ろした。
口うるさかったじいさん完全に沈黙し、その下には赤い血の溜まりが広がっていく。
眼下に広がるその光景を目の当たりにしても、罪の意識よりも他人に見られたらまずいという気持ちの方が先にたつ。
俺は灯油缶の蓋を開け、灯油をヤマブキの体にかけ始めた。
完