④ 本屋で考察
乗降客数が日本屈指の都内のターミナル駅。
駅構内から続く、その入り組んだ地下構造と駅ビル。
そして巨大書店。
アルバイトの勤務を終え、ここの4階に立ち寄っている。
教育関連、人文書のこのフロアは他のフロアよりも人影がまばらだ。
それが本の買いづらさを助長させている。
自分が手にしようとしている本は「コンプレックス」について書かれている本であり、会計のレジにいる小ぎれいなお姉さんに見られることに抵抗があった。
これがもっとお客さんが多ければその人数により印象や記憶も薄まると思うのだが、残念なことに専門書には必要な人しか集まらない。
そもそもレジのお姉さんは俺がこの本を目の前に出しても、さしてどうとは思わないだろう。
ここにはPTSDや依存症、LGBTに中毒症、精神疾患、その他もろもろの書籍があるので別段、異質さはない。
購入者もそういった悩みを抱えた本人ではない場合もあるだろうし、むしろそっちの方が多いかもしれない。
なんなら、「別に俺は何らコンプレックスなんてないっすけど友達が悩んでるみたいなんで、仕方なしに解決の糸口をつかもうと思って渋々本を購入するんすよ。」という体裁でレジに向かえばよいのだ。
いやいや、そんな風な自意識過剰な中二病的発想がもうすでに劣等感に肩まで浸かっているということ。
人とは違うことと劣っていることは別物だし、そういったものに他人が嫌悪感や侮蔑の念を抱くこともあるだろうけど多くはない。
いやいやそれ以前にレジのお姉さんにどう思われるかは自分にとって重要事項なのだろうか?
たまにしか来ないフロアで店員さんも契約社員なのかパートタイマーなのかはたまた正社員なのかも分からず、次に会うかどうかも定かで無し、そもそも顔を覚えていないだろう。
ただの店員と客、その程度の関係性でしかない。
恋が始まったわけでなし、さしあたって重きをおくことはない。
それなのに何故ここまで自分の心を不安にさせ落ち着かせないのだろうか。
脆弱な精神に問題があるのか。
脆弱な精神がコンプレックスをストレスとして他の疾患に進展しまったとか。
だとすると、今必要とするのはそれがどんな影響や過程で発症したのか探る手段。
症状名や疾患名を自ら特定するのよりも効率的なのだ。
※
腕を組み軽く手を握って立っているのだが、その拳の中は汗でぐっしょりになっている。
書棚の前で考察すること小一時間。
今日は帰ろう。
松屋に寄ってこう。
完